2015年02月12日
信じあうこと
香取貴信さんがFBでリンクをシェアしていた
お話です。
モンスターペアレントや、過保護過ぎる親が溢れている昨今。
そんな中、とある都内私立小学校の
授業参観での出来事が、大きな波紋を呼んでいます。
例に違わず、過保護過ぎる親が
たくさん参加していた授業参観。
教室の中ではある題材の作文の発表が行われていました。
発表中にも関わらず、子供を褒めたり、
また教室の清潔さにケチをつけたりと、
先生も思わず苦笑いをする親たちの発言。
そうした時に、一人の小学生が手を挙げ、
次の発表をしたいと立候補をしました。
その発表が、教室の空気と過保護な親たちの意識を、
大きく変える事になったのです。
この授業参観の中で発表する作文の題材は、
「家族への想い」でした。
家族に対しての気持ちを作文にし、発表するというもの。
手を挙げた小学生は、堂々と、作文を読み上げました。
『信じあうこと』
「私は、家族が大好きです。
家族も、私のことが大好きです。
でも、たまに、とても悲しい気持ちになることがあります。」
「私の家族は、いきすぎだと思うほど、私のことを心配します。
この前、私は◯子ちゃんとケンカをしました。
私は、◯子ちゃんにいやなことをさせられました。
でも、私も○子ちゃんにいやなことをしたと思い、仲直りをしたいと考えていました。」
「その時に、お母さんは私に、あなたはわるくないと言いました。
◯子ちゃんがわるいんだから、あやまらなくていいのよ、と言いました。」
「とてもびっくりしました。
なんで、私もわるいのに、私はあやまらなくていいのかなって、そのときに思いました。」
「お母さんは、もしかしたら、私のことを信じていないのかもしれない、と思いました。
お母さんは、『自分の子供』ということを信じているだけで、
『自分の子供だから』という理由だけで、
私はわるくないと言っているんじゃないかな、と思いました。」
「そのとき、とても悲しくなりました。
お母さんは、私という人間のことを信じてくれているのかな、と心配になったのです。」
「私はお母さんの子供だけど、私というひとりの人間でもあります。
その私という人間を、ちゃんと見てくれて、知ろうとしてくれて、信じてくれているのかなって、思う時があります。」
「最近、テレビで、モンスターペアレントという、子供のために
いっぱい怒る人が増えているという話をみました。
それを見て、この作文を書こうと思いました。
きっとそういう人が増えているのは、きっと子供自身を信じるんじゃなくて、
『自分が育てた子ども』という、育てたこと自体を信じているんじゃないかなって、思いました。
似ているようで、すごく違うことの様に感じるのは、私だけではないのではないでしょうか。」
「私は、家族が大好きです。
だからこそ、家族には、もっともっと、私のことを信じてほしいと思います。
信じあうことができたら、
きっともっと仲良く、
もっと笑顔いっぱいで一緒に
いれるんじゃないかなって思います。」
「私も、もっとしっかりして、勉強もたくさんがんばります。
だから、これからも、私のことをたくさん信じてください。
私は、かならず家族みんなの自慢の娘になります。」
作文の発表中から、空気が静まり返る感覚がありました。
発表後、授業参観にきていた親たちは、誰も言葉を発する事がありませんでした。
でも、少し間ができてから、先生は大きな拍手をしました。
つられる様に、親たちも大きな大きな拍手をします。
発表した女の子のお母さんは、授業参観後に、
自身の振る舞いに対して、謝罪をしにいったとの事です。
間違いなく、女の子の発表が、親たちの意識を変えた瞬間でした。
この話は、最近教師を退職した方が、一番印象に残っている話として、寄稿してくれたお話です。
子供は、大人が思っている以上に、敏感に、大人のことを見てくれているのかもしれません。
なんでも大人が正しいと思わず、今一度立ち止まり、
自分自身の立ち振る舞いを振り返ってほしい、
そんなメッセージが籠っているのかもしれませんね。
出典元:http://cadot.jp
雨が降ったら車で迎えに行って
遅刻しそうになったら送っていって
ついつい子どものすることに
手をかしてしまったり
口をだしてしまったり
していましますよね。
困ったとき
すぐにたすけていたら
雨が降ったら何でいこう
遅くなってしまったら
何時の電車にのって
どうやっていこう
などなど何も
考えない子に育ってしまう。
そう感じます。
失敗してもいい
悩んでもいい
子どもを信じて
子どもにまかせて
自分で考えて行動するのを
見守って育てる。
そんな親でありたいなーって思います。

お話です。
モンスターペアレントや、過保護過ぎる親が溢れている昨今。
そんな中、とある都内私立小学校の
授業参観での出来事が、大きな波紋を呼んでいます。
例に違わず、過保護過ぎる親が
たくさん参加していた授業参観。
教室の中ではある題材の作文の発表が行われていました。
発表中にも関わらず、子供を褒めたり、
また教室の清潔さにケチをつけたりと、
先生も思わず苦笑いをする親たちの発言。
そうした時に、一人の小学生が手を挙げ、
次の発表をしたいと立候補をしました。
その発表が、教室の空気と過保護な親たちの意識を、
大きく変える事になったのです。
この授業参観の中で発表する作文の題材は、
「家族への想い」でした。
家族に対しての気持ちを作文にし、発表するというもの。
手を挙げた小学生は、堂々と、作文を読み上げました。
『信じあうこと』
「私は、家族が大好きです。
家族も、私のことが大好きです。
でも、たまに、とても悲しい気持ちになることがあります。」
「私の家族は、いきすぎだと思うほど、私のことを心配します。
この前、私は◯子ちゃんとケンカをしました。
私は、◯子ちゃんにいやなことをさせられました。
でも、私も○子ちゃんにいやなことをしたと思い、仲直りをしたいと考えていました。」
「その時に、お母さんは私に、あなたはわるくないと言いました。
◯子ちゃんがわるいんだから、あやまらなくていいのよ、と言いました。」
「とてもびっくりしました。
なんで、私もわるいのに、私はあやまらなくていいのかなって、そのときに思いました。」
「お母さんは、もしかしたら、私のことを信じていないのかもしれない、と思いました。
お母さんは、『自分の子供』ということを信じているだけで、
『自分の子供だから』という理由だけで、
私はわるくないと言っているんじゃないかな、と思いました。」
「そのとき、とても悲しくなりました。
お母さんは、私という人間のことを信じてくれているのかな、と心配になったのです。」
「私はお母さんの子供だけど、私というひとりの人間でもあります。
その私という人間を、ちゃんと見てくれて、知ろうとしてくれて、信じてくれているのかなって、思う時があります。」
「最近、テレビで、モンスターペアレントという、子供のために
いっぱい怒る人が増えているという話をみました。
それを見て、この作文を書こうと思いました。
きっとそういう人が増えているのは、きっと子供自身を信じるんじゃなくて、
『自分が育てた子ども』という、育てたこと自体を信じているんじゃないかなって、思いました。
似ているようで、すごく違うことの様に感じるのは、私だけではないのではないでしょうか。」
「私は、家族が大好きです。
だからこそ、家族には、もっともっと、私のことを信じてほしいと思います。
信じあうことができたら、
きっともっと仲良く、
もっと笑顔いっぱいで一緒に
いれるんじゃないかなって思います。」
「私も、もっとしっかりして、勉強もたくさんがんばります。
だから、これからも、私のことをたくさん信じてください。
私は、かならず家族みんなの自慢の娘になります。」
作文の発表中から、空気が静まり返る感覚がありました。
発表後、授業参観にきていた親たちは、誰も言葉を発する事がありませんでした。
でも、少し間ができてから、先生は大きな拍手をしました。
つられる様に、親たちも大きな大きな拍手をします。
発表した女の子のお母さんは、授業参観後に、
自身の振る舞いに対して、謝罪をしにいったとの事です。
間違いなく、女の子の発表が、親たちの意識を変えた瞬間でした。
この話は、最近教師を退職した方が、一番印象に残っている話として、寄稿してくれたお話です。
子供は、大人が思っている以上に、敏感に、大人のことを見てくれているのかもしれません。
なんでも大人が正しいと思わず、今一度立ち止まり、
自分自身の立ち振る舞いを振り返ってほしい、
そんなメッセージが籠っているのかもしれませんね。
出典元:http://cadot.jp
雨が降ったら車で迎えに行って
遅刻しそうになったら送っていって
ついつい子どものすることに
手をかしてしまったり
口をだしてしまったり
していましますよね。
困ったとき
すぐにたすけていたら
雨が降ったら何でいこう
遅くなってしまったら
何時の電車にのって
どうやっていこう
などなど何も
考えない子に育ってしまう。
そう感じます。
失敗してもいい
悩んでもいい
子どもを信じて
子どもにまかせて
自分で考えて行動するのを
見守って育てる。
そんな親でありたいなーって思います。
